2014年6月11日水曜日

チャンネル登録者100人突破!!

どうも313kei105です。
平素は当チャンネルをご覧いただきましてありがとうございます。
今回題名の通りではありますが、登録者100人を突破いたしました。
チャンネルを立ち上げて早2年ついに100人に達しましたことはすごく嬉しく感じております。
これも皆さんのおかげです。
ありがとうございます。
今後も当チャンネルをご覧いただきますようお願いします。

以上。








それでは〜w

2014年6月5日木曜日

【遂に!】東京の米型環状線ww(山手線)に30番目の新駅誕生!!

どうも313kei105です。
今回は、とある都会に存在する、山手線に関するニュースです!
読売新聞からの記事です。
引用させてもらいます。




港区の山手線品川―田町駅間の車両基地のある場所にJR東日本が1971年以来となる新駅を開業することを明らかにした。国際線化が進む羽田空港とも近く、2020年東京五輪・パラリンピック開催もにらみ、東京の国際的な玄関口としても期待が高まる地域で、地元からは「再開発にはずみがつく」と期待が寄せられた。
 JR東によると、新駅は、山手線と東海道新幹線に挟まれた品川車両基地を縮小、整備して20年までに建設される。さらに山手線を東側に移設することで国道15号側に約13ヘクタールの再開発用地を創出し、オフィスが入る高層ビル建設など大規模な再開発が進められる。
 港区の武井雅昭区長は、「新駅とその周辺が一体となったにぎわいと魅力ある空間が整備されるとともに、地域の活性化に貢献する計画となることを期待している」とコメントした。開発に当たっては、子育て関連施設や緑の創出、景観への配慮を求めている。
 品川―田町駅間の一帯では、JRと国や都、港区などが長年、今回の13ヘクタール部分も含めた街づくりに関する協議を継続中。羽田空港と近い立地を生かした「東京サウスゲート」構想などが打ち出され、07年には両駅周辺のまちづくりのガイドラインが作成された。新駅発表を受け、都の担当者は「ガイドラインの内容が現実味を帯びてきた。『東京サウスゲート』の実現に向け、JR東日本などと協力して協議を進めていきたい」と話した。
 新駅は、京急線と直通運転する都営浅草線泉岳寺駅と隣接する位置にあり、羽田空港や成田空港とも直結し、交通の要衝となることも期待されている。JR東は、国や都、港区などと協議した上で、約1年かけて再開発計画をまとめ、早期着工を目指す。
 同社の冨田哲郎社長はこの日の記者会見で、「品川は東海道の宿場町。歴史や文化と国際性を兼ね備えた、水と緑あふれる街づくりを目指したい」と話した。




ということだそうです。
続いて、JR東のプレスから引用させてもらいます




田町~品川駅間に新駅を設置し、まちづくりを進めます 


新駅の概要 【別紙 1,2】 
 設 置 位 置 : 東京都港区港南 
田町駅から約 1.3km、品川駅から約 0.9 ㎞付近 
 ホーム形 態 : 線路別島式 2 面 4 線(山手線、京浜東北線) 
 特 徴 : 新駅とまちが一体となった象徴的なにぎわい空間 
 開 業 時 期 : 2020 年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会にあわせた暫定開業を 
 予定しています。 
※今後、鉄道改良計画(東海道線(上り)・山手線・京浜東北線の東側移設)、 
まちづくり計画について検討・調整を進め、必要な行政手続等を踏まえて決定
します。 

(参考)まちづくりコンセプト 
・世界中から企業と人材が集い、多様な交流から新しい価値が生まれる国際的な交流拠点を 
形成します。 
・新駅前には、人・駅・街・地域をつなぐ、にぎわいと魅力ある人中心の広場空間(2階レベル)
を創出します。 
・歴史や文化が感じられ、歩いて楽しい、歩きたくなるような自然豊かなまちづくりをめざします。 
・なお、まちづくり計画の詳細については、別途お知らせします。


で、駅の設置場所は、品川の車両基地の跡地です。

駅の構造もとても近未来的な構造となっております。
そちらをご覧になりたい場合は、リンクからお願いします。

2020年に暫定開業をしたいとの事です。
この新駅には、山手線のほかに京浜東北線が乗り入れるとの事です。


リンク


それでは~

2014年6月1日日曜日

今年で東海道新幹線開業50周年!!

どうも313kei105です!
今日のネタは・・・題名通りですw
今年で東海道新幹線開業50周年についてです。
ざっと東海道新幹線(開業から)の歴史を紹介しましょう・・・(すべてwikipediaより引用)
y-zダイヤとは、片道1時間当たり最大「ひかり」y本・「こだま」z本、x-y-zダイヤとは同様に、「のぞみ」x本・「ひかり」y本・「こだま」z本運行することを意味する。

国鉄時代 開業前

国鉄時代 開業以後

  • 1964年(昭和39年)
    • 10月1日:開業。1-1ダイヤ 0系12両編成で最高速度210km/h。東京駅 - 新大阪駅間「ひかり」4時間、「こだま」5時間で運行。当時は東京駅・新横浜駅・小田原駅・熱海駅・静岡駅・浜松駅・豊橋駅・名古屋駅・岐阜羽島駅・米原駅・京都駅・新大阪駅の12駅。
    • 11月23日:静岡県磐田市で「こだま」が保線作業員をはねる。5名が死亡、5名が重軽傷を負う。
  • 1965年(昭和40年)
    • 4月20日:静岡県を震源とするM6.1の地震が発生。静岡市周辺の盛土が崩れた。
    • 10月1日:2-2ダイヤ 増発、「ひかり」・「こだま」30分間隔に。
    • 11月1日:路盤安定を受け、東京駅 - 新大阪駅間は「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間運転に。
  • 1966年(昭和41年)4月25日:新大阪発東京行き「ひかり42号」が、豊橋駅手前で異常振動により緊急停車した。乗員乗客に怪我はなく、車軸折れ事故を起こした最後尾車両は車両基地まで運ばれて検査の結果、製造時の問題と金属疲労により走行中に折れたことが判明した[37][38]
  • 1967年(昭和42年)10月1日:3-3ダイヤ 増発、「ひかり」・「こだま」20分間隔(毎時6本)に。
  • 1969年(昭和44年)
    • 4月25日:三島駅開業。これにより「こだま」は東京駅 - 新大阪駅間4時間10分に。
    • 10月1日:翌年の大阪万博を控え、臨時「こだま」をダイヤを組み込んだ3-3(変則3-6)ダイヤ(通常は3-3ダイヤ、多客期は「こだま」を増発し3-6ダイヤ)とする。
    • 12月8日:「ひかり」16両編成運転開始。
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月15日:山陽新幹線新大阪駅 - 岡山駅間開業。4-4ダイヤ 「ひかり」・「こだま」15分間隔(毎時8本)、「ひかり」毎時3本が岡山駅へ直通。
    • 6月29日:「こだま」、16両編成運転開始。
    • 10月2日:「ひかり」、3往復が米原に新規停車。
  • 1973年 (昭和48年)2月21日大阪運転所(鳥飼基地)からの回送列車が脱線事故。ATC管理下の事故として問題に(東海道新幹線大阪運転所脱線事故を参照)。
  • 1974年(昭和49年)
    • 9月12日東京運転所(品川基地)入出庫線合流地点でATCに異常信号が発生。翌13日終日まで混乱。
    • 11月12日:新大阪駅構内でATCに異常信号が発生。14日終日まで混乱。
    • 12月11日:新幹線総点検のため東京駅 - 新大阪駅間が午前中運休。翌年2月までに4回実施。
  • 1975年(昭和50年)
    • 3月10日:山陽新幹線岡山駅 - 博多駅間開業。東京駅ホーム増強工事が間に合わず変則4-4ダイヤ(5-5ダイヤから「ひかり」・「こだま」各1本を間引き)。
    • 7月:東京駅3ホーム体制完成を受け5-5ダイヤに移行、「ひかり」・「こだま」12分間隔(毎時10本)、「ひかり」毎時4本が山陽新幹線へ直通、「ひかり」1往復が新横浜・静岡に新規停車。
  • 1976年(昭和51年)
    • 2月25日:若返り工事のため東京駅 - 新大阪駅間が午前中運休。1981年まで43回実施。
    • 7月1日:「ひかり」1往復が新横浜駅・静岡駅に新規停車。
    • 7月9日:「こだま210号」が新丹那トンネル内を運転手不在の「無人走行」。当初の発表は三島駅で交替の運転士が腹痛により乗り遅れ、運転台に便乗の運転士がCTC指令の指示により代替を勤めたとしていたが、実際は運転手が出発直前、走行可能な状態にしたまま客ドアの異常点検を行なって結果電車から閉め出されたことと、無人走行に気づいた車両検査掛が「客席に便乗していた」運転士に代替を頼むまで13kmも走行していたことが三か月後の新聞スクープにより発覚した。
  • 1978年(昭和53年)7月4日:豊橋駅 - 名古屋駅間で架線切断。約5時間不通。51本運休。
  • 1980年(昭和55年)
    • 4月6日:名古屋駅 - 岐阜羽島駅間で架線が切れ、東京駅 - 博多駅間が夜まで約7時間全面不通となり、上下83本立往生、33本運休。
    • 10月1日:「ひかり」を小田原駅・浜松駅・豊橋駅・岐阜羽島駅に新規停車。
  • 1981年(昭和56年)5月15日 - 世界銀行からの借入金を完済。元利払いは一度も滞ることはなかった。
  • 1983年(昭和58年)3月20日:三島駅 - 静岡駅間の蒲原トンネルで架線切断。30本運休。最高約5時間遅れ。
  • 1984年(昭和59年)4月11日:「こだま」は利用者減少で12両に減車を始める。
  • 1985年(昭和60年)
    • 3月14日6-4ダイヤ 「ひかり」が新横浜駅に毎時2本・静岡駅に毎時1本・小田原駅・熱海駅・三島駅・浜松駅・豊橋駅のうち2駅に毎時1本停車、余裕時分の見直しなどにより東京駅 - 新大阪駅間「ひかり」3時間8分、「こだま」毎時1本を東京駅 - 三島駅間に短縮。
    • 10月1日:2階建て新幹線100系登場。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:国鉄最後のダイヤ改正。最高速度を220km/hに引き上げ、東京駅 - 新大阪駅間「ひかり」2時間56分運転とする。

JR東海発足以後

  • 1987年(昭和62年)
    • 4月1日国鉄分割民営化によりJR東海が運営を継承。
    • 6月:東京駅において「JR東海バースデーフェスタ」を開催。
  • 1988年(昭和63年)3月13日新富士駅掛川駅三河安城駅開業。JR移行後初のダイヤ改正を実施。東京駅 - 新大阪駅間最終の「ひかり」2時間49分で運転。カフェテリア営業開始。
  • 1989年(平成元年)
  • 1992年(平成4年)
    • 2月:100系の投入を終了し、300系の投入が始まる。
    • 3月14日:300系「のぞみ」1日2往復登場。最高速度270km/h、東京駅 - 新大阪駅間2時間30分運転。朝の下り301号は新横浜駅停車、名古屋駅・京都駅通過。8-3ダイヤ日中の「ひかり」増発、日中の東京駅 - 三島駅間「こだま」廃止。
  • 1993年(平成5年)3月18日1-7-3ダイヤ 「のぞみ」毎時1本、博多へ直通運転開始。「ひかり」1本を「のぞみ」に置き換え。
  • 1994年(平成6年)12月3日:この日より東京駅22:00発名古屋駅行きの臨時「ひかり」(途中無停車)を臨時「のぞみ」(同)に変更し、名古屋駅の到着を約15分早めた。
  • 1995年(平成7年)12月27日三島駅乗客転落事故が発生。
  • 1996年(平成8年)3月16日2-7-3ダイヤ 300系の増備に伴い、「のぞみ」東京駅 - 新大阪駅間で混雑の激しい金曜日の夜を中心に続行便を設定、これにより東京駅毎時00分発の定期列車は一部時間帯を除いて消滅。夜間帯の「のぞみ」上下各1本が新横浜駅にも停車。米原駅停車の「ひかり」を岐阜羽島駅にも停車、東京駅 - 新大阪駅間「こだま」の一部を名古屋駅止まりとする。同「ひかり」には300系を限定使用し、その性能を活かし所要時間の増加を抑える。また、このころから昼間の「こだま」に100系が使われるようになる。
  • 1997年(平成9年)11月29日:500系「のぞみ」東海道新幹線に乗り入れ開始。米原駅・岐阜羽島駅停車の「ひかり」に加えて、静岡駅停車の「ひかり」にも300系を使用。名古屋駅・京都駅を通過する「のぞみ301号」が廃止。朝夕の「のぞみ」を新横浜駅にも停車、同駅停車の「のぞみ」は3本から16本に増加。
  • 1998年(平成10年)10月:300系の投入を終了。
  • 1999年(平成11年)
    • 3月13日:700系が「のぞみ」として営業運転開始(当初は同社所有のC編成のみで東京駅 - 博多駅間直通の3往復に充当)。このころから山陽直通「ひかり」にも300系を投入。
    • 9月18日:0系さよなら運転が行われ、東海道新幹線での運転終了。
    • 10月2日:700系の増備に伴い、東京駅 - 博多駅間直通の定期「のぞみ」が500系・700系に統一。前日限りで2階建て車両2両食堂車付きの100系X編成が定期運用を終了。新大阪駅を介して山陽区間に直通する「こだま」(改正前は静岡駅 - 岡山駅間に1往復)が消滅。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月11日:東京駅 - 博多駅間、東京駅 - 広島駅間直通の「ひかり」の一部列車をそれぞれ、東京駅 - 広島駅間、東京駅 - 岡山駅間の運転に短縮(ただし臨時延長運転あり)。前日限りで食堂車・ビュッフェの営業が終了。
    • 10月1日:早朝に東京駅 - 新大阪駅間に「のぞみ」1往復を増発。新横浜駅停車の「のぞみ」を16本から32本に拡大し、山陽区間直通の「のぞみ」は夜間の東京駅発岡山駅行き1本を除いて新横浜駅停車に。700系の増備に伴い、東京駅発着の定期「のぞみ」は前述の増発1往復を除いて500系・700系に統一。
  • 2001年(平成13年)
    • 2月:昼間の「こだま」に300系が使われるようになる。
    • 10月1日:東京駅 - 新大阪駅間の「ひかり」1本を「のぞみ」に置き換えることで「のぞみ」30分間隔に、3-6-3ダイヤ移行。この改正で100系が東京発着の「ひかり」から撤退。なお、同年夏にはJR西日本にも700系16両編成(3000番台/B編成)が登場した。
  • 2002年(平成14年)5月7日:博多駅から名古屋駅へ向けて営業運転中の「ひかり」に散弾銃が撃ち込まれる。
  • 2003年(平成15年)9月16日:100系さよなら運転が行われ、東海道新幹線での運転終了。カフェテリアも廃止。

品川駅開業以後

  • 2003年(平成15年)10月1日:7-2-3ダイヤ 品川駅開業。それに伴う大規模なダイヤ改正を実施し、「のぞみ」を主体とするダイヤに。この改正で東京発着列車は品川駅と新横浜駅のいずれかに必ず停車することになり、開業以来設定されていた東京駅 - 名古屋駅間ノンストップの列車はなくなった。「のぞみ」は指定席特急料金が最大で1240円(東京駅 - 博多駅間)値下げされると共に自由席(1 - 3号車/自由席特急料金は「ひかり」「こだま」と同額)が設置された。のぞみ・ひかりで営業していたサービスコーナーが営業中止になり、新幹線車内での供食営業は車内販売のみとなった。また、小田原駅・三島駅・浜松駅・豊橋駅の「ひかり」停車本数が増加。
  • 2004年(平成16年)6月21日:米原駅 - 京都駅間で沿線のホテルの屋根が台風6号の強風で飛ばされ架線を切断。約7時間不通となる。
  • 2005年(平成17年)3月1日8-2-2 (3) ダイヤ 同年に開催された『愛・地球博』の輸送対応として運用実績の少なかった予定臨時「こだま」ダイヤを廃止し「のぞみ」に置き換え、「のぞみ」の品川駅への停車列車を増加。朝の上りと夜の下りは1時間あたり最大13本運転に。
  • 2006年(平成18年)3月18日:デジタル式ATC-NS導入。神戸空港および新北九州空港(当時)の開港を受けて、東京駅 - 博多駅間直通の「のぞみ」が毎時2本に増発される。
  • 2007年(平成19年)7月1日:N700系が運用開始。東京駅 - 新大阪駅間最短2時間25分に。この改正で初めて品川駅始発列車が設定される。朝の新横浜駅停車の「のぞみ」と「ひかり」が増加。
  • 2008年(平成20年)3月15日:毎時2本の博多直通の「のぞみ」のうち1本がN700系での運転に。すべての東海道新幹線の列車が品川駅・新横浜駅停車となる。この改正で初めて新横浜始発列車が設定される。「ひかり」の停車駅パターン変更、小田原駅・静岡駅・浜松駅・豊橋駅の「ひかり」の停車本数が増加した。また、昼間の「こだま」に700系が使われるようになる。
  • 2009年(平成21年)3月14日:9-2-2ダイヤ 「のぞみ」がラッシュ時で最大9本、昼間の定期列車毎時4本運転に増発。新たに広島発着の「のぞみ」がN700系での運転となり、毎時2本の「のぞみ」がN700系での運転となる。下り新大阪行きは毎時00分に発車となる(東京駅から昼間の定期列車が毎時ジャストタイムに発車するのは1996年3月15日まで運行された「ひかり」以来13年ぶり)。早朝に名古屋駅始発の東京駅行き「のぞみ」が初めて設定される。また、「こだま」が増発される。
    • ダイヤ改正と同時にN700系車内でのインターネット接続サービス開始。
  • 2010年(平成22年)
    • 1月29日:新横浜駅 - 小田原駅間で「こだま659号」(300系)通過後に架線が切れて停電し、全線で運休。運転を再開するまで約3時間を要する。この事故の影響で56本の列車が運休し、約14万8000人の足に影響が出る。原因は「こだま659号」に使用した編成が1月27日の仕業検査で12号車パンタグラフ舟板取替実施の際に上枠のボルト4本を閉め忘れたことと判明。
    • 2月28日:500系の東海道新幹線乗り入れ運用が終了する。
    • 3月13日:ダイヤ改正実施。山陽新幹線に直通する定期の「のぞみ」すべてがN700系で運用。
  • 2012年(平成24年)3月17日:ダイヤ改正実施。東海道区間における定期の「のぞみ」すべてがN700系で運用。東京駅発18時・19時台に臨時「のぞみ」を1本ずつ追加設定し、各時間帯の「のぞみ」は最大10本(「ひかり」「こだま」と合わせると最大15本)の設定となった。なお、前日の3月16日にて300系が運用を終了、また「こだま」における車内販売が全廃となった。
  • 2013年(平成25年)
    • 2月8日:N700系1000番台(通称「N700A」、「A」は Advanced の略)6編成の営業運転開始(東海道区間のみ)[39][14]
    • 3月16日:ダイヤ改正実施。山陽新幹線直通列車に「N700A」を投入。新大阪駅27番線供用開始。東京駅発7時・8時・17時台に臨時「のぞみ」を1本ずつ追加設定。オーディオサービス中止(NHKラジオ第1放送は継続)。
  • 2014年(平成26年)
    • 1月3日:東京駅 - 品川駅間(有楽町駅)での沿線火災により、朝6時35分ごろから5時間ほど全線で運休(運転再開は11時55分)。この火災の影響で部分運休を含め106本が運休し、約31万人に影響が出る[40][41]
    • 3月15日:ダイヤ改正実施。新大阪駅西側の引上線2線から4線に増強され、「のぞみ」の1時間あたり最大10本運転が可能な時間帯が東京駅発7時台 - 20時台に拡大されると共に上りについても新大阪駅発6時台 - 19時台に導入。新幹線車内の自動販売機を全廃。N700系車両については、自動販売機の撤去された箇所で新たに無線LAN設備を活用した実験を行う予定。なお、自動販売機を搭載していない一部のN700Aの新製車両がダイヤ改正より前に走行を開始していた
    • 引用ここまで



で、これからいろいろなイベントが開始されます。
只今開催中の「リニア・鉄道館」では11月24日まで
「東海道新幹線50年の軌跡~誕生、進化、そして未来へ~」を開催中です。詳しくは文の最後にあるリンクを参照願います。
そして、夏のイベント!
「新幹線なるほど発見デー」こちらは、静岡県浜松市にあるJR東海浜松工場で行っている年に一回の
鉄道ファンにとっては一大イベントで、やっぱり、新幹線開業50周年がメインですしかもこのイベント今年で20周年をむかるとの事。
新設されたイベントは
1.ドクターイエロー車内見学(完全予約制)

2.線路の歪みを直すマルチプルタイタンパーや架線の点検等に使用する高所作業車を使った実演・展示 
です!
この他にもさまざまなことがありますので詳しくは、リンクを参照願います。
そしてそして!!
造幣局から、新幹線開業50周年記念硬貨の発行があるそうです!
引用します。

新幹線鉄道開業50周年記念貨幣(千円銀貨幣)

図柄表面裏面
 (図柄)新幹線鉄道開業50周年記念貨幣(千円銀貨幣)の表面画像 (図柄)新幹線鉄道開業50周年記念貨幣(千円銀貨幣)の裏面画像
額面千円
素材
品位純銀
量目31.1グラム
直径40ミリメートル
彩色白色、灰色、黒色、水色、青色、青紫色、ピンク色、黄土色、黄色、黄緑色及び緑色
その他の特徴虹色発色、斜めギザ等
発行枚数5万枚
申込予定時期
(商品発送予定時期)
平成26年10月頃
(平成26年12月頃から)
販売価格8,300円
  1. 本記念貨幣の表面には彩色を施しており、裏面には図柄が虹色に輝くように微細加工を行う「虹色発色」技術を採用しています。
  2. 本記念貨幣は、造幣局が販売するプレミアム型の記念貨幣です。素材に貴金属を使用し特殊な技術を用いて製造することから、貨幣の製造等に要する費用が額面価格を上回るものです。
  3. 販売要領については、平成26年10月頃に、造幣局から発表する予定です。
引用ここまで
詳しくは、リンクを参照願います。
ということで着々と準備が進められております。
10月1日を楽しみに待っていましょう!
リンク↓
東海道新幹線開業50周年記念サイト(JR東海)
なるほど発見デー
なるほど発見デー(PDF版)
造幣局

【衝撃!!&悲報!】トワイライトEXP廃止決定!














どうもしばらくブログを更新していなかった(←爆)&忘れたころにやってくる・・・
313kei105です!
今回は鉄道ファンのみならず鉄道での旅好きをしている方へ悲しいお知らせです・・・
なんとJR西日本は、あの寝台列車トワイライトエクスプレスを平成27年春に廃止するとの
コメントを出しました!
今からプレスを引用させて頂きます。
                                             引用ここから
平成元年より運行を続けてきました寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪~札幌駅間)は、車両の老朽化により平成27年春の運転をもって運行を終了します。これに伴い、これまでのご愛顧に感謝の気持ちを込めまして、平成26年度下期は以下の日程により運転します。
 なお、平成26年10月より、北海道新幹線開業に向けた設備検査などに伴い、これまでの定期的な運行スケジュールから変更となっておりますのでご注意ください。
 【平成26年10月から平成27年2月までの運転計画(予定)】
 ※注釈 運行終了日を含めた平成27年3月以降の運転計画については、決定次第お知らせします。
 ※注釈 北海道新幹線開業に向けた設備検査などに伴い、一部の運転日において列車の運転時刻の変更が発生します。時刻変更の詳細については、四期ごとの臨時列車運転プレスにてお知らせします。
 ※注釈 以下運転日は大阪発札幌行の列車の運転日であり、札幌発大阪行の列車はこの翌日発となります。
平成26年10月から平成27年2月までの運転計画(予定)
【参考】「トワイライトエクスプレス」の歴史
 ※注釈 平成元年より運行を開始し、今年で25周年を迎えます。
 「トワイライトエクスプレス」の歴史
引用ここまで
ということらしいです。
鉄道車両は、老朽化には逆らえませんからね。
そして、北海道新幹線も開業しますからね・・・
しょうがない事だと自分は思っていますが・・・
自分はまさかのまだ乗ったことがないので乗りに行きたいなーとは思っています・・・
廃止は鉄ヲタにも悲しいことだと思っています。
こうした寝台列車は時代と共に少なくなってきています。自分では、少しでも寝台列車は生き残っていてほしいと思います!

乗りたいと思っているそこのあなた!乗るなら今ですよ!!


それでは~